京都祇園安藤

祇園安藤の歴史

祇園甲部で舞妓芸妓の経験を経てから、日本テレビ系列の深夜番組『11PM』の藤本義一の初代アシス タントを務めた。芸妓名は『孝千代』(たかちよ)女将安藤孝子と娘若女将の加奈子が、由緒正しき 地にて営むお茶屋『祇園安藤』です。10代で祇園甲部芸妓、貝田孝江(かいだたかえ)の妹分として店だし(芸妓、舞妓の披露)、タレントとしての活動もテレビ出演(『11PM』以外)・映画・音楽・書籍『異例聞どすぇ』『こんばんは11PMです』で活躍する。

祇園安藤 女将 安藤孝子


女将 安藤孝子

祇園甲部

祇園甲部には、皇族さま、政界、財界、芸能界の著名人の方々様が多くお客様でおこしになられます。そのため祇園甲部の花街では、格式の高い仕来りが御座います。また京都には、5つの花街がありますが、その中でも最上級なのが祇園甲部と言われています。その祇園甲部にあるお茶屋さん『祇園甲部安藤』です。京都祇園では3代目として100年以上の歴史を築いて参りました。4代目の若女将安藤加奈子は次世代の祇園安藤を継承して参りますので今後共末長くご贔屓のを程よろしゅうおたの申します。

『祇園は数多くの人物で彩られ、また名妓を輩出してきた。江戸初期には大石内蔵助一力亭で遊んでいた話は歌舞伎などでも知られ、江戸末期には後の新政府を樹立する多くの志士らによって利用され続けた。高杉晋作は「井筒屋」の芸妓、小梨花を贔屓にして都々逸「なによくよくよ川端柳、水のながれを見て暮らす」と歌っている。また、大和大路通に営業していた「魚品」の芸妓、君尾は志士らを新選組の目から逃れさせたことで有名。時は下り、明治期に「加藤楼」のお雪(雪香)はアメリカの財閥であるモルガンと結婚して、後に「モルガンお雪」と呼ばれた。吉井勇の「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」の歌で有名なお茶屋「大友」の女将で芸妓である磯田多佳女や、井上流の名手として、また後輩の育成に努めた松本佐多女、ほかに早崎春勇三宅小まめ玉木里春藤本竹葉上羽秀(現役当時の芸名そめ、小説『夜の蝶』のモデル)、安藤孝子(現役当時の芸名は孝千代、後に11PMに出演)、岩崎峰子高田真知子佳つ乃など京都のみならず、世間に花を添えてきた芸妓が数多くいる。最近では芸妓としては初のジャズシンガーの真箏がいる。現在、祇園甲部芸妓組合の会長に就任しているのは芸妓で井上流名取であるまめ鶴で、ほかに小富美斗美千代小萬豆弘豆花小喜美照古満豆爾など代表的な芸妓らがいる。』祇園甲部 人物 wikipediaより

「祇園安藤」京都祇園の花柳界100年歴史