京都祇園安藤
祇園安藤の歴史
祇園甲部で舞妓芸妓の経験を経てから、日本テレビ系列の深夜番組『11PM』の藤本義一の初代アシス タントを務めた。芸妓名は『孝千代』(たかちよ)女将安藤孝子と娘若女将の加奈子が、由緒正しき 地にて営むお茶屋『祇園安藤』です。10代で祇園甲部芸妓、貝田孝江(かいだたかえ)の妹分として店だし(芸妓、舞妓の披露)、タレントとしての活動もテレビ出演(『11PM』以外)・映画・音楽・書籍『異例聞どすぇ』『こんばんは11PMです』で活躍する。
2代目祇園安藤までは旅館経営をしておりました。その当時は、大映(映画)さんが常宿にしてくれてはりましたので、京マチ子さん、いつも一緒にお風呂に入り身体を洗って貰ったり、セーターを編んで頂きました。昨年93歳亡くなる迄、可愛がって貰いました。音羽信子さん、森雅之さん、三船敏郎さん、石橋湛山総理大臣の時は、子供ながら何故こんなに巡査さんが家に来はるのかなーと言う思い出どす。お座敷時代は先日亡くなられた、鹿島建設の鹿島昭一さん、日銀の一万田総裁、高松宮様等どす。イレブンでは、必ず売り出さはる演歌歌手デビューのお手伝い、和田アキ子さん、千昌夫さん、森進一さん、等イレブンに出ると売れるとゆうジンクスがあったそうです。由美かおるさんもですが、未成年だったので、この人だけは、別撮りでした。石津謙介さんには、毎晩電話ありこまりました。森繁久彌さんも、口説いゲストさんでした。三代目祇園安藤として昭和45年から、色んな業界の方々がおみええになって下さいました。ベンツヤナセの簗瀬次郎さん、稲山孝英さん、千玄室(裏千家茶道家元15代大宗匠)さん、千宗室さん(裏千家茶道家元16代 宗匠)芦屋雁之助さん(裸の大将)、渋谷のりこさん、藤原寛美さん、藤山直美さん、小野透さん、有村洋二さん、鶴田浩二さん(若女将、加奈子の祖父)美空ひばりさん、黒柳徹子さん、雪村いづみさん、岸恵子さん、小林旭さん、吉永小百合さん、加山雄三さん、田宮二郎さん、佐藤栄作首相、正力松太郎会長、松永安左衛門、朝丘雪路さん、津川雅彦さん、高倉健さん、勝新太郎さん、梅宮辰夫さん、松方弘樹さん、菅原文太さん、高嶋政宏さん、政伸さん、ワコールHD塚本能交さん、トヨタ自動車会長喜一郎さん、トヨタ自動車CEO豊田章男さん、帝国ホテル元会長小佐野賢治さん、元社長犬丸徹三さん、犬丸一郎さん、藤居寛さん、大野勝己さん、ダイエー中内功さん、リクルート江副浩正さん、西武グループ創業者堤康次郎さん、堤義明さん、東京急行電鉄(現・東急)五島昇さん、哲さん、田中角栄先生、亀井静香先生、麻生太郎先生、橋本龍太郎先生、金丸信先生、竹下登先生、宮沢喜一先生、小沢一郎先生、石原慎太郎先生、石原裕次郎さん、中曽根康弘先生、海部俊樹先生、渡哲也さん、みのもんたさん、IKKOさん、小曽根真さん、長澤まさみさん、藤原紀香さん、片岡愛之助さん、高嶋忠夫さん、寿美花代さん、まだまだ書ききれない方々とのご縁を頂きました。etc、小佐野賢治さんは、何時も母にミカン箱三個お預けになり見せて貰いましたが、100円札が山のように入っていて、チビ(私)お小遣いだよって、今でしたら、5千円貰いびっくりどした。小佐野賢治さんは、汽車の時は寝台の特等をお取りになりますが、ご自分は三等にのらはります、子供ながら不思議になり、おじさんなんで特等に運転手さんなの?そしたら僕らは、何時でもいいもの食べ、良い車にのれるだろ、この人に自分の体を預けているのだからたまには、ゆっくりさせてあげるのだよ、となんと私は心暖かい人やなーと思いました。生涯を通して数多くのお客様のご縁を戴きましたこと安藤孝子の財産どす。心から感謝申し上げます。
祇園安藤 女将 安藤孝子
祇園甲部
祇園甲部には、皇族さま、政界、財界、芸能界の著名人の方々様が多くお客様でおこしになられます。そのため祇園甲部の花街では、格式の高い仕来りが御座います。また京都には、5つの花街がありますが、その中でも最上級なのが祇園甲部と言われています。その祇園甲部にあるお茶屋さん『祇園甲部安藤』です。京都祇園では3代目として100年以上の歴史を築いて参りました。4代目の若女将安藤加奈子は次世代の祇園安藤を継承して参りますので今後共末長くご贔屓のを程よろしゅうおたの申します。
『祇園は数多くの人物で彩られ、また名妓を輩出してきた。江戸初期には大石内蔵助が一力亭で遊んでいた話は歌舞伎などでも知られ、江戸末期には後の新政府を樹立する多くの志士らによって利用され続けた。高杉晋作は「井筒屋」の芸妓、小梨花を贔屓にして都々逸「なによくよくよ川端柳、水のながれを見て暮らす」と歌っている。また、大和大路通に営業していた「魚品」の芸妓、君尾は志士らを新選組の目から逃れさせたことで有名。時は下り、明治期に「加藤楼」のお雪(雪香)はアメリカの財閥であるモルガンと結婚して、後に「モルガンお雪」と呼ばれた。吉井勇の「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」の歌で有名なお茶屋「大友」の女将で芸妓である磯田多佳女や、井上流の名手として、また後輩の育成に努めた松本佐多女、ほかに早崎春勇、三宅小まめ、玉木里春、藤本竹葉、上羽秀(現役当時の芸名そめ、小説『夜の蝶』のモデル)、安藤孝子(現役当時の芸名は孝千代、後に11PMに出演)、岩崎峰子、高田真知子、佳つ乃など京都のみならず、世間に花を添えてきた芸妓が数多くいる。最近では芸妓としては初のジャズシンガーの真箏がいる。現在、祇園甲部芸妓組合の会長に就任しているのは芸妓で井上流名取であるまめ鶴で、ほかに小富美、斗美千代、小萬、豆弘、豆花、小喜美、照古満、豆爾など代表的な芸妓らがいる。』祇園甲部 人物 wikipediaより
「祇園安藤」京都祇園の花柳界100年歴史